小津安二郎の映画と社会保障

昨年(2003年)は、映画監督の小津安二郎の生誕100年でした。小津安二郎が撮った数々の映画は、今では黒澤明監督の映画と並んで世界的に有名ですから、生誕100年を記念したイベントが種々行われています。NHKの衛星放送では、昨年末から小津監督の全作品を放送していますので、ご覧になった方も多いことでしょう。

 

小津映画の特徴は、ストーリー性と躍動感に富み、大勢のエキストラを使いこなす黒澤映画とは異なり、家庭を舞台として、床近くに低く据え置いたカメラで、日常生活の中での親子や家族の間の細やかな感情の揺れを描き出す点にあります。黒澤映画がにぎやかな活劇物とすると、静かな家族ドラマといった趣です。

 

小津監督が描いた家族は、昭和20年代から30年代という今から半世紀前の世界です。かつての日本の家族の生活ぶりや親子間の感情の結びつきが淡々と表現されていて、昔はそうだったのだろうなあというなつかしさとともに、日本の家族の有り様はこの50年の間にずいぶん変わってしまったという感慨を引き起こしてくれます。

 

小津映画は、社会保障についてあれこれと思いをめぐらせるヒントを与えてくれます。社会保障の目的のひとつに「家庭機能の支援」がありますが、小津映画の中の家庭や家族を対象に制度を創設するとなると、その具体的な内容は、現行制度とはだいぶ違ったものになったような気がします。

 

『晩春』(1949年)は、小津映画の名作のひとつです。鎌倉を舞台に、大学教授の父(笠智衆)と婚期が遅れた(といっても27歳ですが)娘(原節子)との関係を描いています。娘は、妻に早死にされた一人身の父の世話のために、なかなか結婚をしません。父は娘が結婚するようにと、再婚をほのめかします。娘が結婚を決意した後、2人で京都に旅行しますが、そこで、父は次のように娘に言います。「わたしは56歳だ、人生はもうおわりに近い。お前達はこれから新しい人生が始まる。お父さんは関係しない。これが人間生活の歴史の順序というものだ」。人生80年代時代の現在では、かなり印象的なせりふです。この映画の原作は、広津和郎の『父と娘』ですが、映画では原作と異なり、再婚話は娘を結婚させるための父の方便でした。ラストシーンは、娘が嫁いで出て行った家で、父が椅子にすわってひとりさみしく眠るところで終わります。

 

『東京物語』(1953年)は、代表作であるとともに、日本映画史上の傑作として名高い作品です。広島県の尾道から老夫婦(笠智衆と東山千栄子)が上京して、東京に世帯を構えた息子(山村聡)と娘(杉村春子)の家を尋ねるのですが、子ども達にはそれぞれの生活があり、居場所がなくて失意のうちに尾道に戻ります。細やかな気遣いをみせてくれたのは、戦死した次男の嫁(原節子)だけでした。父(笠智衆)は義理の娘(原節子)に次のように言います。「妙なものだ。育てた子供よりいわば他人のあんたの方がよほどわしらによくしてくれた。ありがとう」。この映画は、50年代からの経済成長とともに、子供世代が東京に出てきて、地方にすむ親との間の物心両面の関係が薄らいでいった日本の家族の動向を暗示しています。

 

小津監督は、家族は濃密なつながりを持ち続けて生きるものというよりは、親子間で依存せずに個々人が自律して生活を営むことになる、という見方のようです。こうした家族観に対してどのような社会保障制度が望まれるでしょうか。『東京物語』の中の親子間のすれ違いの問題に、年金制度や介護保険制度は解決策となるのでしょうか。社会保障研究者にとっても、小津映画は興味深いものです。なお、日本の家族の姿をさまざまな映画に描いた小津監督は、生涯独身で、晩年の20年間は母親と二人暮らしで人生を送りました。

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