こくほ随想

「コレステロールバイ菌」説の終焉

筆者が医学部を卒業し、1年間のインターンを終えた後、大学の内科の医局に入局したのは、1966年のことであるから、もう半世紀近く昔のことである。入局した医局が循環器疾患の予防を研究テーマにしていたためもあり、真っ先に印象づけられたキーワードはコレステロールである。当時、日本の研究が結実する少し前の時期であり、アメリカのフラミンガム研究の結果が世界を席巻していた。虚血性心疾患のリスクファクターとして高コレステロール血症があることを示したこの研究のインパクトは大きかった。

後で日本の研究によって否定されるまで、虚血性心疾患のみでなく、脳卒中まで、高コレステロールが原因となると主張していた教授もいた。「血清コレステロールが存在するから成人病が発生するのだ」「コレステロールは低いほどよい」といった、今しきりにテレビの健康食品のコマーシャルで流されているキャッチフレーズの原型は、すでに半世紀も前に出来上がっていたのである。

程なく、日本人の研究成果が公表され、日本人の脳卒中のうち、脳出血のみでなく、脳梗塞も低コレステロールがリスクファクターとなることが主張されるようになったが、欧米の学会はこれを認めようとはしなかった。欧米の学説に追随するのが、日本の学者の習い性となっているので、日本の医学者の大多数は、この「コレステロールバイ菌」説ともいうべきコンセプトを支持し続けたのである。

しかし、真実は必ずその本質を現象させるものである。図に示したように、1981年に発表された、ハワイの日系人(男性)8,000名の9年間の追跡研究は、それまでの思い込みを一掃させるものであった。この研究は日系人を対象としているが、アメリカの研究者により行われた。



図で分かるように虚血性心疾患の死亡率は、血清コレステロールの高い群から多発した。対照的にガン死亡率は血清コレステロールの低い群から多発した。懸案の脳卒中死亡率は、血清コレステロール240~269(mg/dl)と、やや高目のところで最低となった。すべての死亡率を総合すると、コレステロールが210~239(mg/dl)のカテゴリーでもっとも低くなった。つまり、このカテゴリーがもっとも長生きということになるのである。

この後の血清コレステロールと疾病や寿命との関係を示す研究は、ほぼ同様の結果を示している。体内のコレステロールは細胞膜やビタミンD、各種ホルモンの材料となっており、不足するとガンや感染症を引き起こすのみでなく、うつの原因となり自殺も多発させる。

食物のコレステロールも少ないほどよいとして「コレステロールゼロ」を健康食品の宣伝に唱っているコマーシャルも存在する。しかし、現在、厚生労働省は食事摂取基準の中で、成人以降のコレステロール摂取量を男性750mg未満、女性600mg未満としている。一方、もっとも新しい国民健康・栄養調査では、男女平均306mgと基準の半分も摂っていないのである。

かつてアメリカから流入した、食品中のコレステロールは300mg未満にという根拠のない指針に、日本政府は何のコメントもしなかった。日本国民は、この指針を何時の間にか遵守するに至ったのである。日本人の卵の摂取量が四半世紀の間に2割以上減ったのもこれに関係しているであろう。


文献:柴田 博『ここがおかしい日本人の栄養の常識』(講談社、2007年)

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

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