こくほ随想

「ノーマライゼイション(2)」障害者の自立と自立支援法

 1980年代、世界の福祉の潮流となったノーマライゼイションは、道路や建物、交通機関のバリアフリー化に貢献した。公共施設のエレベーター、階段の手すりやスロープの整備は、身体の不自由な人だけでなく子連れや妊産婦、体力の衰えた中高年にも大いに歓迎された。しかし、その理念は建物のユニバーサルデザインというハード面だけでなく、障害者がその人なりの就労の場と収入を得て、社会の中で生活するという社会参加やそのための雇用や教育支援というソフト面の充実が伴わないと意味がない。
 ノーマライゼイションの運動は知的障害者の家族から始まったが、北欧先進国でも知的障害者と精神障害者の社会参加は、他の障害者に比べ遅れていた。知的障害と精神障害に対しては偏見が強く、障害者自身に発言する力がなかったからである。心ある関係者と家族の思いが高まっても、その運動を簡単に社会に浸透させるのは困難であった。味方のはずの施設職員と家族も最初、反対した。職員は自分たちの職場が無くなるのを怖れ、家族は今更、家に引き取ることを躊躇したのである。10年もの時間をかけ、障害者を隔離保護するより地域社会に包み込み(インクルージョン)、社会の担い手になってもらうほうが社会保障の面からもプラスだという合理的な判断を浸透させ、グループホームへの移行と就労支援へ舵取りがなされた。
 日本では、「すべての障害者は社会を構成する一員として社会、経済、文化、その他あらゆる分野の活動に参加する機会を与えられるものとする」という障害者基本法(1993年)に、その思想は明文化されている。2000年には身体障害者、知的障害者のサービス利用が措置から契約となり、関係事務も市町村に移行された。これにより、重度障害者でも地域に出て在宅サービスを選択契約し、自分の日常生活をアレンジして一人暮らしが可能になった。
 2003年、介護保険システムに似た支援費制度が導入され、2005年には精神障害者を加えた3障害を一元化した「障害者自立支援法」が成立した。「介護給付」「訓練等給付」「地域生活支援事業」の3事業に大別され、「訓練など給付」が就労支援や雇用につなげる。残存能力を生かして技術を磨き、収入を得て自分なりの自己実現をしてもらう。そのためのサービス費用の1割は負担してもらい、コスト感覚と権利意識を持ってもらう。まさに社会参加のルールだが、措置になれた障害者や家族にとって、負担を伴う新しいシステムへの適応は簡単ではない。
 「障害区分によるサービス内容のバリアが解消された」「支援費より透明な判定基準で(100の調査項目)障害程度区分に認定する」「一割負担の上限額は一般階層以外は低目に抑えられている」とプラス面を説明されても、負担が増える障害者側には不満が多いようだ。
 「自立支援法」の設計段階では、介護保険の第2号被保険者を20歳まで下げて、介護保険制度と統合する可能性も検討されたが、高齢者の要介護と重度障害者のサービス必要量では、あまりに差が大きく立ち消えた。全障害者数はざっと見積もって700万人、全人口の約7%にあたる。これらの人を社会でどう受け入れていくかは、社会の将来像をも左右する。
 4月から、障害者施策を方向づける「障害者基本計画」の前期が終了、後期の5ヵ年計画が始まる。計画では14万人以上の施設入所者を1万人以上減らし、グループホームやケアホーム利用者を今の4万人から8万人に増やすのが目標だ。近年、町で障害者を見かける機会も増え、障害者の働くパンや菓子工房、レストランや園芸栽培店が増えている。身近で障害者が働く姿に接することは、地域の人々にとっても良い刺激で、子どもには自然の福祉教育となる。地域の一人一人の心にバリアフリーが浸透し、障害者を特別扱いではなく自然に受け入るようになったとき、共生のまちづくりに一歩近づくのだろう。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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