こくほ随想

「ノーマライゼイション(1)」家庭中心主義と児童養護

 現在の国際的な福祉の動向は、ノーマライゼイションという北欧の福祉理念に大きく影響されている。1970年代、北欧の知的障害者分野で芽生えたこの考え方は、どんな障害者であろうとも、普通の人と同じように日々のメリハリや地域との交流のある生活をおくるべきというものだ。ハード面では町や建築物のバリアフリー、制度面では契約という選択制や個人の権利擁護につながった。同時に戦後の大規模施設充実の時代からグループホームやユニットケアの小規模施設化へ、また障害者を隔離保護する過剰ケアから、就労支援への根本理念の移行を促した。
 高齢者分野でも介護保険の導入で施設よりも住み慣れた自宅での在宅介護を普及させ、人間の尊厳に基づき自己決定を尊重した自立支援という基本原則が一般的になった。子育て分野では、できる限り親が子どもと一緒にいられるようにという育児休業の充実やワークライフバランス、保育では認定子ども園(保育園と幼稚園の垣根を取り払った相互乗り入れ施設)が拡充されている。
 また専業主婦のための育児支援として親子の集いの広場、託児サービスではファミリーサポートやベビーシッターなどの在宅サービスも普及しつつある。つまり施設中心から家庭・在宅中心が強調され、欧米の「人は家族という小集団で生活するのが当たり前」というノーマライゼイションの思想が浸透してきたといえる。
 一時期近代的な建築設計による大規模施設が福祉の最先端のように錯覚されたが、今は古い木造一軒家のデイサービスも縁側があって開放的で寛げると見直され、生活環境を見る視点が成熟したと言えよう。
 これを児童養護で見ると、100名単位の児童養護施設と呼ばれる大舎制施設から小舎制度(グループホーム)への移行、より普通を目指した家庭的な環境として、養育家庭(里親)制度の拡充方針がある。里親とは親や家庭のない子どもに、施設や職員の世話よりは心のふるさととして、第二の家庭や親代わりを与えようとするものだ。
 日本で絶大な人気がある「赤毛のアン」の物語のように、欧米では孤児院から農家や商家が働き手として子どもを引き取ることは普通のことであった。キリスト教の隣人愛や子どもは神からの預かりものという信仰である。子どものいない里親は子どもを労働力として引き取り、相性や条件が揃えば養子にするのが普通だった。日本も戦前や戦後の一時期、戦災孤児があふれた頃は、里親が多くの行き場のない孤児を救った。
 孤児院は今では児童養護施設となり、両親がいない子はほとんどなく、親の虐待による措置入所が半数以上を占めるが、里親や養子縁組は親の了解が得にくく難しい。また、普通の子どもでも世話が焼けるが、虐待で心身ともに傷ついた子どもは扱いが難しく、専門里親や親族里親によるきめ細かな配慮とケアが必要だ。
 そこで近年、児童福祉では里親を養育家庭制度と改め、再活用していく方向に力を入れている。被虐待児童を扱う専門里親には心理面への豊かな経験が求められ、普通里親への養育手当ての他、専門ケアの手当ても加算される。それでも施設の一人当たりの措置費用の半分以下で、児童養護でも在宅ケアの方が障害者や高齢者同様、コストがかからない。
 しかし、ここで重要なのはコストではない。不幸な事情から児童養護施設に入っている子どもも、皆将来、健全に育って社会の一員として活躍してほしい。そのためにも、普通の家庭のように、心身傷ついた子どもは安定して依存欲求が満たされることが必要だ。施設では保育士や相談員を24時間、1ケ月、1年独占することはできない。ノーマライゼイションは、児童養護においては養育里親の拡充に繋がり、児童福祉においては育児手当や児童手当による家庭育児支援に繋がる。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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