こくほ随想

「格差社会と人生の謳歌」

 一億総中流化と言われたはずの日本だったが、近頃格差社会とか下流化社会という言葉が飛び交う。高収入の家庭の子は良い教育によって高収入の職業につき、所得の低い家庭ではその逆になるという。若者の将来への希望や意欲まで格差を生じさせると暗くなる。
 資源のない敗戦国日本が先進諸国の仲間入りができたのは、一重に質と量が豊かであった中間労働者のおかげだった。勉強すれば親より良い職に、働けばより豊かにという希望があったからだ。この馬力があった中間層が上流と下流の両極に分化して空洞化するという。普通に考えるなら上流、下流も二極分化するので中流は必ず一定量存在しているはずだが、中間層の減少と弱体化は、先進資本主義国ではその存亡に繋がる深刻な危機だ。
 過去には立身出世の野心家が大勢いた日本も、少子化と過保護な育児のため、不登校やニート、働いていてもフリーターや結婚しないパラサイトシングルが増加した。生産者にならずあくまで気楽な消費者にとどまり、最小限の努力で最大限の成果を期待する依存性の表れと言われる。つまり日本の若い労働力は量も減ったが、質も危うくなってしまった。
 その反対に人口の少ない北欧諸国は、社会保障という再分配のシステムにより、国民の総中流化に成功している。これが高い保険料や税金で高所得者から貧困層に平準化する修正社会主義とも呼ばれる仕掛けであるが、高い政治意識の浸透により実現している。
 実際の北欧社会を見ると、ほとんどの国民が普通の生活水準で、南米や石油産出国のようにすごい大金持ちもいないし、スラムやホームレスも少ない。そのかわり軽い障害者も仕事に就き納税者となり、女性もほとんどが出産育児中はともかく、男性と遜色ない働きをしている。また経営者以外、職種や常勤とパートの雇用形態の違いでの賃金格差も少ない。
 このように進んだ平等社会は労働者の向上心や若者の競争意欲、ハングリー精神を失わせるのではないか。ところがこれは杞憂で、北欧諸国の若者や子どもは生き生きと希望をもって成長している。何故だろう。北欧に限らず暮らしを謳歌している国を見て気づくことがある。子ども、青年、成人のそれぞれの人生の喜びや楽しみ、人間本来の生命力を抑圧せず上手に活用して生活していることだ。
 もともと北欧人はバイキングの子孫で逞しいが、水や緑という地球環境との融和により動物としての生命力の活性化を追求している。乳幼児から冬でも外気に当て、児童はスキーやソリなどを楽しみながら体を鍛える。そして大人になったら海や湖での長いバカンスをヨットや水泳で楽しむ。皆そのために働いていると言って憚らない。
 当然、一緒に過ごす異性との関係、カップルを重要視する。性教育や、市民や社会人としての権利を、義務・責任とセットで16歳までに徹底教育する。その後は親から自立させ、同棲や出産・子育てに積極的に挑戦してもらうため雇用政策、家族政策の支えを縦横に整備している。裏を返せば人口の少ない国で一定の労働力を維持するには、そうするしかなかったともいえる。
 社会保障は高齢者や障害者のためだけではなく、社会保障の担い手である働き盛りが生活を謳歌したいと権利を主張し、その生活保障も大きな比重を占める。ここが収入やポストが自己目的化して格差が拡大し、過労死やセックスレス夫婦が増加するわが国との違いだろう。またカップルや家族優先という生活の価値観は社会全体、家庭生活に一貫しており、パチンコ屋やゲームセンターは少ない。
 ストックホルムの認知症専門の女性ドクターは「働きすぎは将来の認知症に繋がります。日本人はもっと生活をゆったり楽しまないと」と笑顔で警告してくれた。「働いてばかりで最後に認知症になって、それこそ何のための人生なのでしょうか?」と、全く理解できないという表情をしていた。

←前のページへ戻る Page Top▲