こくほ随想

「人口減社会に思う」

「災」という字で表現された2004年。それに対し、2005年は一体、どんな年になるのか。

 

期待と不安が入り混じる中、日本の未来を占う企画記事が、正月から新聞各紙の一面を飾り、目をひいた。

 

そのタイトルを拾ってみると、「未来が見えますか 人口減時代の日本 少子化の風景」(毎日新聞)、「人が減る! ニッポン力で挑む」(東京新聞)、「待ったなし 人口減少時代」(産経新聞)、「少子に挑む ニッポン大転換」(日本経済新聞)など。ちなみに、私が勤める読売新聞では、人口が減り、少子化が進む中での「家族」のあり方をテーマに取り上げた。各紙に共通するのは、「人口減」「少子化」「社会」「家族」などのキーワードだ。

 

政府の推計では、日本の人口は、2006年の1億2、774万人をピークに減り始め、その後、半世紀の間に1億人にまで減少する。明治以降、人口増加が当たり前のように思われてきた日本で、人口が減るのは文字通り、初めての経験だ。

 

これまでのような社会構造でよいのか、地方自治体はやっていけるのか、産業構造や労働力に与える影響はどうなのか……など、「未知との遭遇」を前に、疑問や不安は尽きない。

 

もちろん、人口過密な日本にあって、人口の減少がもたらすメリットは少なくない。たとえ人口が減っても、一人当たりの生産性を高めれば、人口減少はさほど深刻な問題ではない、という意見もよく聞く。しかし、人口減少に即応した社会構造に転換しようとする際に、少子高齢化のスピードが早過ぎるため、「ソフトランディング(軟着陸)」ができず、大きな痛みを伴う「ハードランディング」になってしまいそうだというのが大方の見方といえよう。

 

そんな中、各紙の企画で目についたのは、少子化問題を真正面からとらえ、特に子育て世帯への支援を手厚くせよとの論調だった。

 

これまで、日本では、少子化問題は、「生めよ増やせよ」という戦時中の記憶が色濃かったせいか、正面きって取り上げられることが少なかった。子育て支援にしても、とかく「おんな・こどもの問題」と片付けられがちだった。しかし、本格的な人口減少社会を前に、子育てしやすい環境作りから出生率の向上を論じることはもはやタブーではないどころか、必須のテーマとなってきた感がある。

 

子育ての費用を、将来社会につながる「前向きなコスト」ととらえ、子育て世帯に手当を与え、仕事と両立しやすい環境づくりに努め、結果として出生率も回復させてきた欧米先進国。そこでの社会保障給付費全体に占める子供・家族向けの給付の割合は10%前後なのに対し、日本の場合はわずか4%足らずというのが、象徴的な数字だ。ちなみに、日本の高齢者向けの給付費の割合は全体の70%前後あり、相当手厚い。

 

人生の最終期だけでなく、若い時期でも、子供を産み育てたり、失業したりと、費用がかさみ、生活に困る場合がある。そんな時に、きちんと給付があるとわかれば、若い世代の社会保障制度への信頼感は増すだろうし、何より、この国で新しい命を育てようという希望もわくだろう。

 

産む、産まないの選択は自由であるものの、産み育てたいと思っているカップルがしり込みしているとすれば、代償はそのカップルだけにとどまらず、一国の人口規模にも影響を与える時代となってきた。産みにくい環境や育児負担・不安をどう改善し、しかも、避けられない「人口減」という現象にあった社会をどう構築していくのか。

 

今年のみならず、総人口がピークを迎えると予測されている来年も、この問題は引き続き新聞各社が取り上げ、そして社会全体が考えなければならない問題だと感じている。

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