こくほ随想

第12回 
UHCを永遠に

日本ではUHC(Universal Health Coverage:ユニバーサルヘルスカバレッジ)、つまり、国民皆保険は空気のような存在で、医療保険に入っていることは当たり前で、その存在を意識している人はあまりいません。

公衆衛生の講義の中で学生に、加入している医療保険の種類を聞くことがあります。たとえ医学部などの医療系の学生でも、答えられる人はわずかです。

自分も親に扶養されていた頃、自分の保険の種類はわかっていなかったと思います。親は小さな会社を営んでいたので、たぶん政府管掌健康保険(現 全国健康保険協会=協会けんぽ)だったのかもしれません。

私が最初に医療保険を意識したのは、働き始めてからで、特に、病院を辞めて、大学院生になった時です。保険が無加入になることがわかり、慌てて、国保にするか、医師会に入会して医師国保にするか、アルバイト先を通じて社保に入るかという選択を迫られました。なるほど、医療保険っていうのはこのようになってるのかと気付かされました。

次に意識したのが、ある自治体の国民健康保険運営協議会の会長になった時です。大学のそれなりのポストだったので、そういう話が来るわけです。驚いたのは、そこで示される数値の大きさ。比較的大きな自治体だったこともあり、今まで見たこともない桁数の数値が並んでいました。いちじゅうひゃくせんまんじゅうまんひゃくまんせんまんいちおくじゅうおく? 医療保険では、日常では見たこともない大きなお金のやり取りがあることや、制度の複雑さを実感しました。

3つ目が、いわゆる僻地の診療所や病院の支援をしていた時です。当時、某大学の地域医療学の講座に所属していたので、地方の医療機関に行く機会が多くありました。それらの医療機関の多くは国保(あるいは自治体)により運営されており、国保って医療機関も運営するのかと素朴に感じました。

このような経緯で、医療保険の仕組みを肌で感じ、日本の国民皆保険において国保の果たしている役割がいかに重要かを理解するに至りました。

さて、日本の医療保険の歴史を少し振り返ってみます。1920年代以前、民間企業や公務員に対して医療保険が組合により提供され始めました。その後、従業員が一定数の企業は、健康保険組合を通して従業員に医療保険の提供が法律で義務付けられ、改正を重ねて、現在のような職域保険制度が確立されました。一方、地域保険は、1938年の厚生省(現厚生労働省)の設立と国民健康保険法の成立後に確立した制度です。各自治体により任意で設立・運営されていたものが、1958年の国民健康保険法の改正により、全市町村で地域保険制度の設立が義務化されました。そして、1961年に国民皆保険が達成されるのです。

このようにして、国民皆保険によって、日本国民はどのような立場でも、どこでも医療を受けることができるようになりました。また、都市部だけではなく、地方においても医業を営むことができ、民間の医療機関(病院や診療所)の経営が成り立つようになりました。ただ、民間の医療機関のない地域では、“保険あっても医療なし”の状況があり、一部の国保や自治体では医療機関を自ら設置・運営する必要が生じたのでした。

現在、このような随想の執筆、データヘルス計画や特定健康診査・特定保健指導等の研修会での講師など、国保に関係する方々と関わる機会を多くいただいています。もちろん、国保が抱える課題はありますが、皆さんのおかげで、この大事で、複雑な国民健康保険制度が維持され、国民皆保険が成り立っていることをありがたく思います。1年間、どうでもよい話題が多い随想でしたが、最後は、国保に関係する皆さんへの感謝とエールで終わります。

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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