私の原点

国保と私との関わりは厚労省との関わりよりもずっと長い。私は東京で生まれ育ち、国保は私が生まれて数年後にできた。生家は自営業だったので小さい時からずっと国保の被保険者、親族も自営業が多かったので私の知る医療保険は国保だけ、保険証といえば国保のそれだけであった。何せ「健康保険」という位だから世の中には国保しかないと漠然と思っていたのだ。なので、小学校の同級生が色の違う保険証(らしきもの)を出し、担任の教師が「あ、君の家は会社員、社会保険だね」といったのを聞いてひどく驚いたのを覚えている。「社会保険」という名前を聞くのが初めてだったのと、馬鹿げた話だが「サラリーマンって「国民」じゃないのか?」と子供心に不思議に思ったのである。どうも当時から私は変に理屈っぽい性癖だったらしい。

縁とは面白いもので、大学を卒業して旧厚生省に奉職し最初に配属されたのが国保課だった。なので、官僚としての私の出発点もまた国保ということになる。ちなみに国保課にはその10年後、埼玉県庁から戻って補佐として2度目の務めをすることになる。私の役人人生で2度奉職した課は国保課だけである。

昭和55年5月に研修を終えて国保課に配属された初日、前任者だった2年先輩の山崎さん(現駐リトアニア共和国日本大使)から一冊の本を手渡された。分厚いオレンジ色の本だった。題名は「国民健康保険基礎講座」。

「連休中に読んでおくように。連休明けからすぐに仕事だからな。」素直な一年生(笑)の私はその年の連休中、メモを取りながらこの分厚い講座本と格闘した。

「国民健康保険基礎講座」は版を重ねて現在でも出版されている(と思う)が、当時の基礎講座は現在のものとは内容が全く違っていて、全体の半分近くが「日本の医療保険制度の制定・発展の歴史」を国保を通じて詳しく解説している、いわゆる制度解説本とは趣を全く異にするものだった。

昭和恐慌に始まり、農村の疲弊、経済の混乱、日中戦争、軍国主義という時代背景が描かれ、その中で「国民健民運動」の一環として時の内務省「革新」官僚たちが構想したのが昭和13年に制定された旧国保法。そして終戦後の混乱と旧国保制度の崩壊・破綻。その後、講和条約、朝鮮戦争、戦後復興と時代が進む中で、国民皆保険を求める国民世論、新生厚生省と全国自治体の努力で国保制度が再建され、昭和33年に現在の国保法が成立して国民皆保険が達成される。

制定当初の国保は、5割給付、入院承認制、投薬も剤数制限(3剤、と記憶する)があり、今とは比べ物にならない「制限医療」の給付だった。その給付内容を粘り強い努力で1つ1つ改善していった経緯(給付率引き上げ、制限診療撤廃、国庫負担引き上げ等々)が時代背景と合わせて、まるでドラマのように具体的に記述されていた。

制度の歴史を知ることはとても重要である。先人たちは何を思い、何を実現するためにこの制度を作ったのか。制度を支える理念は何なのか。制度がいかに生まれ、いかに時代に合わせて発展・変遷してきたのか。温故知新とは誠に正しい箴言で、過去を知ることで私たちは将来への道標を見出すことができる。

かつて国保には保健婦(現在の保健師)がいて保健活動は国保事業の大きな柱だった。全国市町村には国保直営病院・診療所があり(もちろん今でもある)、住民―被保険者の健康を守ってきた。大袈裟でなく、私は「基礎講座」から実に多くのことを学んだ。社会保険にはない国保の歴史。国保は単なる医療保険ではない。保険を超える保険なのだ。

役人生活の出発点が国保だったことは、私にとって最大の幸運だったと思っている。国保の歴史を学ぶことで、国民の健康と生活を守るという厚生省のミッションを学び、役人としての覚悟と心構えが私の中にしっかりと位置付いた。国保は私の原点である。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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