こくほ随想

一部負担金と錨の効果

行動経済学のブームのきっかけになったという本を読んでみた。「予想通りに不合理」という不思議なタイトルがついている。この本は、経済学は合理的に判断する人間というのを前提としているのに、どうして人は不合理な行動を取ってしまうのか、様々な実験で実証しており、なんとも興味深い。そして、医療費に対する施策の歴史・経験によく当てはまる、と思ってしまった。

行動経済学にはアンカーという概念があるそうだ。アンカーは船が港に着いたときの錨の意味としか知らなかったが、我々が価格を考えるときに各自基準となる錨を持っているそうだ。刷り込まれた価格(アンカー)を基に消費者はその商品やサービスが高いか安いか考えて購入しており価格が上がると、消費者は驚いて消費を手控えるが、時間が経つと新しい価格をアンカーとして受け入れ、元に戻る傾向が見られるという。

また、価格が付いているうちは的確に判断できている消費者が、無料となるといかにそれに引きずられてしまうか、ということも書かれている。十分安くてお得なリンツチョコより無料のハーシーズキスチョコを選んでしまう、という実例は、チョコ好きとしては大いに興味を持った。

こういう研究結果は、知らず知らずに社会に浸透している。そう、知らず知らずに行動が左右されるのがこの方法の面白いところでもあり怖いところでもある。厚生労働省も、最近は「自然に健康になれる環境づくり」を提唱している(健康寿命延伸プランを参照)し、経済産業省は、「ナッジ」という概念を提唱している(昨年9月の産業構造審議会に「ナッジとインセンティブで「賢い選択」を応援」という資料が提出されている)。これらは、予防や健康づくりへの応用だが、私が思い出したのは、医療費という、医療保険の一番大きな課題のことである。

医療費を一定の範囲に抑えることができるか、これは医療保険制度ができたときからの課題で、世界中どこの国も悩んでいる問題だ。我が国においても、医療保険制度のあり方を巡って激しい論戦が続いてきた。昭和59年の国会は健保国会と呼ばれ、健康保険本人一割負担の導入の是非を巡って国会は大荒れとなった。その後も自己負担は引き上げられ、一割から二割に、さらに三割に引き上げられた。特に三割負担の導入を巡っては、与党内で大きな異論が出て、政府・与党の調整は難航したが、結果的には三割負担以上に自己負担を引き上げないという附則が法律に盛り込まれ、現在に至っている。

さて、一体自己負担はどういう水準が望ましいのだろうか。国際比較をすれば、我が国の自己負担はむしろ高い方にランクされる。昭和59年以来、医療保険制度を所管する厚生労働省の中では、経験的に「一部負担は一時的に受診の適正化を促すが、効果は持続しない傾向がある」ということを認識していた。行動経済学の考え方で言えば、一割から二割、三割と自己負担レベルが変わるたびに、そのうち錨が新しい水準に降ろされ、もとの受診パターンに戻っていく、という理論通りの結果だったことになる。

団塊の世代が75歳以上となるまであと数年しかない。財源問題もさることながら、受けたいだけ医療を受けるということでは、医師をいくら増やしても医療体制そのものが行き詰まる。そして、自己負担だけで問題は解決しないと心得るべきだ。

地域包括ケア、在宅医療の推進では、患者にとって最も望ましい医療・ケアを追求することになるが、これが結果的には医療費の抑制に繋がることは現場から報告されている。主治医が決まり、多職種で本人の望みを支える、というアプローチこそが中長期的には望ましい医療費水準を実現させていく。こういうシステムを国民全員が持てるようにすることが、最も効果的なのかもしれない。


記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

 

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