こくほ随想

年金繰下げ受給の留意点

「年金受給を70歳まで繰下げることにより最大で42%増の額を受けとることができる現行制度の利用率が低いという現状がある。就業促進の観点からも十分な周知が望まれる。また、高齢期にも高い就業意欲が見られる現況を踏まえれば、繰下げを70歳以降も可能とするなど、より使いやすい制度とするための検討を行ってはどうか。」

これは、内閣府「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会報告書」(平成29年10月2日)の提言である。

国民年金の支給開始年齢は原則65歳であるが、当初から60歳から70歳の間での繰上げ・繰下げ受給の選択制が採用され、その後厚生年金でもこれが導入された。

国民年金では、かつては繰上げが多かったが、新規裁定でみると、今では65歳受給が約9割になった。繰上げには、年金の減額のほか、併給調整などのデメリットがあることが周知されてきたのだろう。

一方、繰下げは増えず、新規裁定に限っても2%にすぎない。十分な情報提供があれば繰下げがもっと増えるはずだ、というのが多くの識者の指摘である。ただし、繰下げでは、年金が増額されるとはいえ、加給年金・振替加算や遺族年金の額は増えないことなど、注意すべき事項が少なくない。そういう情報提供も欠かせない。

その他にも留意していただきたい事項がいくつかある。

60歳からの繰上げ30%減~70歳までの繰下げ42%増という率は、平成11年財政再計算の年齢別死亡率や経済前提に基づいて、平成12年に定められた(改正前は60歳からの繰上げ40%減~70歳までの繰下げ88%増であった)。この増減率は、数理計算上どの年齢で受給しても、受給者全体としては損得のない率だと説明されている。

現状はどうだろうか。死亡率はその後も低下し、65歳の平均余命をみると男女ともに3歳程度伸びたから、その限りにおいては今では繰下げが有利で、特に寿命の長い女性にはお得だということになる。

一方、経済前提は、平成11年財政再計算では、運用利回り4.0%、物価上昇率1.5%としていたが、前回の平成26年財政検証では8つのケースを想定し、しかも新たにマクロ経済スライドが導入されている。ケースによっては、今では繰下げが不利になる可能性もあるのではないか。

ここまで考えると選択に迷うが、多くの人は、生涯の名目的な受給総額を比較する程度だろう。そうであれば寿命が伸びたのだから、繰下げがもっと増えてもよいはずだ。そうでないのはなぜだろうか。

年金以外の収入がないなど、年金を必要としている人が多いのが現実だろう。寿命が短いと悲観的に考える人も少なくない。行動経済学の時間選好説でいう「人々が将来よりも現在の利益に大きなウェートを置いてしまう傾向」もあるだろう。このことはわが国の企業年金で、年金に代えて一時金を選択する人が多いことでも論じられている。

一時金選択への偏りは、退職所得控除という手厚い税制上の優遇措置も関係している。同様に、年金においても名目額ではなく、年金にかかる税・保険料等の負担を考慮した手取りの実質所得でみる必要がある。

一般に、年金を含む収入が非課税水準であれば、保険料軽減など、低所得者に配慮した各種の支援が受けられるが、課税水準であれば、その額に応じて税負担のほかに医療や介護の保険料・自己負担等がかかる。年金額が増額されれば、当然にこれらの負担も増える。繰下げ後の実質所得でみれば、生涯受給額の均衡点が数理計算上の年齢より高年齢の方にシフトすることは明らかである。政策的にも応能負担が強化されつつある。

年金の受給年齢の選択は、意外に難しい判断になりそうだ。



記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

 

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