こくほ随想

新型インフルエンザ報道に密む、もうひとつのリスク

連休明けの今も連日、「新型インフルエンザ」報道」が続いていますが(5月12日現在)、論点の偏りが気になります。おおまかに整理すると、パンデミック不安(世界的大流行)と、対策方法への言及に集約されます。が、こうした立ち位置が、次に出現する「新・新型」対策になるとは考えられません。

日々、健康事業に腐心されている皆さんは先刻ご承知の通り、健康政策にはハイリスク・アプローチとポピュレーション・アプローチの両者が不可欠です。健康・医療資源の合理的配分の文脈からみても、政策展開は「ポピュレーション」に軸足を置きながら「ハイリスク」を併用する方式が王道のはずです。

けれども、昨今のパンデミックを地で行くような情報洪水には、良識ある判断を担保するためのダムが欠落したままで、いたずらに健康不安を煽る傾向は残念でなりません。

一方で、『スペイン風邪当時と違うのは、栄養状態が良くなり抗菌薬や抗ウイルス薬などの対抗手段もある(5月3日某紙朝刊)』と、無責任な楽観論が登場する始末。後半の「抗菌薬論」には耐性菌の猛威に対する認識が不在ですし、「抗ウイルス薬論」にはAソ連型が免疫が効かずに拡大した経緯が欠落しています。

さらに決定的なダム崩壊を語るのが、「栄養状態が良くなっている」とする曲解でしょう。調査報道が叫ばれていながら、この記事には「日本人全体が低栄養化」しているという事実(後述/07年厚労省・国民健康・栄養調査)が視野に入っていません。多少なりとも公衆栄養学・公衆衛生学の知見に学べば、かかる根拠希薄な思い込みは生じないはずでしょう。

 

ほぼ1世紀にわたり、日本人のエネルギー摂取量は2,000kcal強の水準を保ってきましたが、98年に大台を割って以来ジワジワと減少局面をたどり、ついに最新データ(前掲、同)では1,898kcalにまで低下。国際比較でも(03年/FAO)、東アジアでは北朝鮮を上回りますが、韓国や中国を下回るレベルです。

ちなみに、発展途上国型の低栄養とは「エネルギー・タン白質不足型」を指しますが、一部の専門家が主張する『日本人の病気は過食が主因、摂食量を4割減らすべき』をうのみにすると、北朝鮮レベルを2割も下回ることになってしまいます。「栄養失調」に苦しむ国々では、感染症問題の拡大が国家存続リスクとなっていることを、かの専門家たちが微塵も考慮していないのは哀しき限りです。

ともあれ、直近10年ほどで20代女性のエネルギー摂取量はマイナス約10%、30代女性も8%以上低下している状況は、まさに危険水域。日本人全体の低栄養化進行に加えて、家族の健康管理を担うケースが多い女性の栄養状態リスクは、本人のみならず三世代に及ぶ健康問題だと、私は各地で講演しているのですけれども。

さて近年、都市部で息を吹き返している結核や、肺炎による死亡増も「低栄養化」を見過ごしてきた代償ともいえるでしょう。一方、高齢者の低栄養問題は早くから指摘されていますが、人はある日突然、高齢者になるわけではありません。加齢を重ねた結果の舞台ですので、長年の食習慣の反映が、低栄養化の回廊となるリスクを直視したいものです。

同時に、長寿健康科学の前線基地である自治体は、メディアの対症療法的な対応と情報の乱反射に対し、根拠ある分光器で臨んでもらいたいと思います。生活習慣病、感染症ともに、私たちのライフスタイル選択の結果を含む社会環境・労働環境などの環境因子リスクを無視できないためです。「新型」のパンデミックは文明社会への警告--こうした人文科学の視点と自然科学を学際的に統合しなければ解決できません。以上の文脈からも今後は、個人リスクを追求する保守的な疫学(risk factor epidemiology)から、文明のあり方や社会的環境因子に着目する社会疫学(social epidemiology)に軸足を置き替えたいものです。

【著者E-mail】 hirabayashi.sag-j@ac.auone-net.jp

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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