こくほ随想

市場と舞台

社会保障に携わっている人で「市場」という言葉を嫌う人が少なくない。その理由として「二つの考え方」があるように思う。

一つは「そもそも社会保障は、国家が行うべきものであり、市場に馴染まない」という考え方であり、一つは「ルール無き市場万能主義は、社会の否定である」という考え方である。いずれも一理はあるが、この二つの考え方はそれぞれ絶対的なのであろうか。

前者の考え方は「社会保障の位置付け」に関するものであり、「現金給付」にはあてはまり易いが、医療や介護などの「サービス給付」には、当てはまらないと言わざるを得ない。何故ならば、「サービス給付」に携わる医師、看護師、介護福祉士などの「人間」は、この地上の社会の中で生きて生活しているのであり、仕事としてそれぞれの職に従事しており、国家に従属する道具ではない。そして当然のごとく、患者さんや要介護の高齢者と相対して、その必要を認識・判断し、必要な「サービス」を提供しているからである。

後者の考え方は、「社会保障の仕組み」に関するものであるが、「ルール無き」市場万能主義などを主張する人は、効率性を強調する経済学者にも殆ど存在しない。市場機能を高く評価するか低く評価するかは「相対的なもの」であろう。

私は、社会保障における「サービス給付」を考える場合、その仕事に携わる方々に誇りを抱いていただくとともに、国民がその専門職を「人として」信頼するために、前者の考え方は乗り越えなければならないと考えており、その意味でも「市場機能」が大切にされるべきであると考えている。一方、後者については、最近の金融市場の混乱を見るまでもなく、市場に適切な「ルール」が必要であることは言うまでもなく、全てが「自由」であって良いはずがない。ローマ法以来、いや人類が始まって以来、詐欺や契約違反が許されなかったことを考えれば、こんなことは言うまでもないことであろう。

考えなければいけないことは、ルールの作り方である。厳し過ぎるルールは「自由」を侵害し、ゆる過ぎるルールは「公平」を損なうという中で、どのようなルールがその国の社会に適するかであろう。

これに加え、社会保障の「サービス給付」の市場は、普通の市場とは異なり、相対する利用者が支払う費用だけではなく、その場にいない(そのサービスの便益を享受しない)、国民の税金や被保険者の保険料によって、その「サービス」の財源の多くが賄われていることから、「お金」の面からより「公平」への配慮が必要となる。

社会保障における「サービス給付」については、一般的な「市場のルール」に加え「公共的な資金」に伴う「公共のルール」が必要となる。

このことを踏まえ、私は「市場」という言葉を「市場=いちば」と読むことを提唱してきた。あるいは「ルールとお金」の公共性を「舞台装置」という形で表現してきた。「いちば」は、人と人とが顔を見合い、会話をして、必要とするものを売買する市場であり、相互の信頼がルールを担保する。舞台装置は「制度」であり、それなくしては「舞台」が成立しないものであるが、その劇場に集まる人は、決して「舞台装置」を観に来るのではなく、「舞台の上」の音楽を聴き、「舞台の上」の劇を観に来るのである。そして何よりも「舞台の上」は市民社会として、そして専門職として「自由」があって欲しい。舞台から転落しないという範囲での。

国民健康保険を含め、私たち社会保障に携わる者たちに必要とされるのは、市場という言葉を嫌うのではなく、適切な用い方をすることであり、保険者、市町村の職員、住民として、「舞台装置」をしっかりしたものにしていくことなのではないだろうか。

「制度」は実践のためにあるのである。

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

←前のページへ戻る Page Top▲