こくほ随想

社会保障法─行政法?民事法?─

社会保障制度は、例えば「国民健康保険法」「介護保険法」「社会福祉法」など法律で定められている。社会保障制度が「法律」で定められる理由は、例えば「保険」制度においては、第一に「保険料」の負担について「国民に義務を課する」からであり、第二に「給付」について「国民に権利を付与する」からである。さらに言えば、多くの場合、社会保障制度は「国家と国民」が向かい合う形で形成されており、国家による「公権力の行使」と密接に関係しているからでもあろう。

この結果、社会保障制度に関する法律は、一般的に「行政法」と呼ばれるグループに分類されている。そしてこの行政法の解釈基準は─「行政行為論」を中心として─「法律に基づく『行政庁』の一方的な行為の是認」と「その一方的な行為における『行政庁』の権力行使の抑制」から成立する。戦前に存在した「行政裁判所」が存在しなくなった戦後においても、法律解釈は「行政法」によって律せられ、縛られてきた。またこのことについて、私を含めた公務員は、疑問を抱くことが少なかった。

20世紀が終わる頃から、我が国の社会は「行政改革」とともに「法律の厳格な執行」を求めるようになる。このことは法律の解釈論として確かに一つの在り方であろう。

しかしながら、行政庁(例えば厚生労働大臣)に付属する公務員としては、実は大きな葛藤に直面することになる。第一に「行政行為の是認」が法律上不安定な状態に置かれるようになるとともに、第二に「国民に対する規制」については「寛容に」、「国民に対する給付」については「厳格に」という伝統的な、そして身体に染み付いていた「行政行為論」が崩れ始めることを意味するからである。

法律の規定が細かくなり、条文が過剰に増え始めたのも、丁度この頃からである。また「普遍的なもの」である法律と「個別的なもの」である事実の折り合いを付けてきた「行政庁の裁量機能」が失われ、行政庁の責務でもある「現実妥当性」が損なわれていく。これは実は「政対官」の問題では無く、法律の規制が及ぶ範囲に関する「国民の権利」の問題であるにも関わらず、法学者も裁判所も政治家もそして行政官も声を挙げることをしなかった。本当にこれで良かったのであろうか。

一般的な問題提起はさておこう。

例えば国民健康保険法における「市町村」は、本来「行政庁」という「公権力の主体」なのではなく「住民クラブ事務局」とでも言うべき存在であり、本来は「民事法」によって取り扱うべきウェートが高い。そうであるとすれば、先のような社会の変化に鑑み、国民健康保険法の解釈原理もそろそろ「行政法」ではなく、保険者と被保険者の関係を律する「民事法」に置き換えていく必要があるのではないだろうか。解釈原理として壊れ始めている行政法では、個別・具体的な事案に、保険者として責任を持って適切な対応をすることが出来なくなる虞れがあるのではなかろうか。

社会保障が「社会」によって築かれるものであるか、「国」によって築かれるものであるかという議論は、我が国の場合、社会思想の問題以前に、社会保障の財源論に影響する大きな問題であるが、それとともに社会保障法の運用に関する現実の問題であり、「厳格と寛容」の間で揺れ動く基本的な問題なのである。医療過誤の問題、後期高齢者医療制度の問題、医療過疎問題など、「規制」(行政法)という観点から考えるか、「合意と調整」(民事法)という観点から考えるかによって解決の方法が大きく異なるものであり、その岐路に置かれた石がこの問題であると思う。

私も行政官時代には「公務員」が「堪え忍べば良いことだから」とややあきらめに近い思いを抱いていたことを告白する。しかし社会保障のこれからの展開を左右する問題について、やはり論を立てるべきだと思うに至り、この文章を書くことにした。読者を初め識者の方々のご批判を仰ぎたい。

 

記事提供 社会保険出版社〈20字×80行〉

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