こくほ随想

「社会保障の経済効果」

先日、国内外の社会保障の専門家が集まって、社会保障と経済との関係について討議するシンポジウムが開かれた。

少子高齢化と経済の低成長で、社会保障の給付は年々膨らみ、いまや、一般歳出の4割を超えるまでになっている。これを受け、特に経済界からは、「増大する社会保障負担が経済の成長を妨げている」「企業の負担が重くなり、国内の雇用はもちろん、国際競争力にも影響を与えている」などの論調が強まっている。

ここ数年の社会保障改革の流れを見ていても、負担増を避けるために、いかにして公的な給付費を抑制できるかに主眼が置かれている。年金の給付水準は引き下げられ、医療や介護、障害者福祉の分野でも、公的給付の範囲が狭まり、それが患者や利用者の自己負担にとって代わるという傾向が強まっている。

もちろん、給付の無駄を省き、制度の効率性を高めなければならないのはいうまでもない。世代間や世代内の公平性にも目を配る必要がある。しかし、社会保障は、国民生活を支える重要な柱であり、負担の重さにばかり目を奪われて給付を削ってよいものでないことも、いうまでもない。

シンポジウムでは、雇用創出効果など、社会保障が経済に果たすプラスの役割にももっと目を向けるべきではないか、という提案がなされた。雇用創出効果は、医療や介護などの現物サービスで大きい。特に2000年に始まった介護保険制度は、ホームヘルパーや介護施設職員の増加に大きな役割を果たしている。

また、医療は、労働力保全効果が大きいことも、このシンポジウムで指摘された。例えば医療の進歩で新生児の死亡率が低下すれば、その人たちが大人になって労働力となり、国の経済を支えることができる。もし、医療が進歩せず、その人たちが赤ちゃんのうちに死亡してしまったら、現在あるような労働力や経済効果は望めなかったということになる。

社会保障はよく「セーフティーネット(安全網)」だといわれるが、雇用や産業の創出効果、労働力保全効果、所得再分配による生活安定効果、内需拡大効果など、経済にかかわるさまざまな役割があることを忘れてはならないだろう。

そもそも、日本の社会保障は、低所得者や高齢者(困窮期や高齢期)に給付が重点的に行われてきたせいか、すべての国民がその重要性を実感するような制度になっていないように感じられる。若年期の就業や、青・壮年期の子育て支援にも、大きな役割を果たすべきなのに、そこへの給付が手薄いため、どうしても人生の最終段階のみを支える制度、というイメージが強い。

出産、失業、病気、老齢など、人生のライフサイクルで、年をとっていようがいまいが、必要な時期に必要な給付があるという制度が、本来、社会保障が目指している姿であると思う。社会保障があるから、心身ともに健康で、自分の能力を生かしてより積極的に働け、社会や経済に貢献できる、それが本来の姿ではないか。そのために雇用保険があり、生活保護があり、医療、介護、年金制度があり、児童育成の制度がある。

いざ困ったときに確実に役立つ社会保障制度があれば、言い換えれば、失業したときでも職業訓練などを受ければ雇用がきちんと確保され、老後には年金が確かに支払われ、医療や介護サービスも一定水準のものが確実に受けられる、という確信があれば、人々はもっと個人消費もするだろうし、投資にも積極的になるだろう。しかし、肝心の土台が揺らいでしまえば、自分で自分の身を守ろうとして貯蓄に励むし、個人消費も冷え込む可能性がある。

社会保障をより積極的に、ポジティブにとらえることは、経済効果も高めるのではないかと、シンポジウムを通じて感じた。

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