さいお子さんをもつお母さんのお話です。
「子供が“喉が渇いた”とか“開かない”とだけ言うことが多いんです。“喉が渇いたから、飲み物が欲しい”とか“ふたを開けて”と希望を言えばいいのに、親が察して行動するのを待つというか…」
子供が訴えているのは、「喉が渇いた」「ふたが開かない」という“状態”です。状態を述べただけなのに、周囲の大人は、行間を読み取り、飲み物をコップに入れて渡したり、瓶のふたを開けたりしがちです。相手が望むことを推し測って行動してしまうわけです。
大人の場合でも似たようなことはよくあります。私は人材育成の講師をしていますが、受講者との会話でこのような状況に遭遇します。新入社員研修の一場面を例にしてみましょう。
「テキストを持ってくるのを忘れたんですけど」
「はい、それで?」
「だから、今日、テキストを持ってきていないんです」
これも「テキストが手元にない」という“状態”を述べているだけ。ここで、「では、今日はこの予備テキストを使ってくださいね」などと相手の希望を察して動くことは簡単ですが、それでは新入社員のコミュニケーション力を高めることにつながらないため、「私に何をしてほしいのですか?」とあえて問い返すようにしています。すると、「テキストを貸していただけますか?」とようやく当人の“したいこと”“してほしいこと”を引き出すことができます。
本語には、はっきり表現せず、互いに「察する」ことが美徳とされている面もありますが、グローバル化などにより多様性が重要視されるこれからの時代は、「したいことを明確に伝える」「してほしいことをはっきり述べる」ことが求められる機会がより増えることが予想されます。
読者の皆さまは、「その朝刊、読み終わったら貸して」と言わずに「その朝刊、まだ読んでる?」などと言ってはいませんよね!?